2022年9月19日

教えて!萬立さん ① 幼少期、母の愛につつまれて

あかね 2022年9月17日号 第133号 (PDF)

浜松駅(静岡県)からバスで1時間くらい山のほうに入ったところが生家です。「ポツンと4軒家」(笑い)でのどかなところです。コメや野菜、お茶、養鶏、花も育てていました。
姉2人と兄、末っ子の私の2人の子育てと農家の仕事で、母、久代は、いつも忙しく働いていました。夜遅くまで、土間で「藁打ち仕事」をしていたのを思い出します。

当時、子どもたちの遊びは、山に登ったり、田んぼでサッカーをしたり。あるとき、近所の子と相撲をとっていて、私が足を骨折。バスで約40分の骨接ぎ院に通院するために、母が付き添ってくれました。疲れた母が帰りのバスで居眠りするので、降りられるか不安になって、いつも起こしていました。

母に怒られた記憶はほとんどないのですが、3つ上の兄とけんかになって、兄の帽子をトイレに投げ捨てたとき、さすがに怒られました。畑のキュウリを手にして、ポコンとたたかれました。ショックでした。

近所に卵農家もあって、いつも買いに行くのが私の仕事。母の作る目玉焼きが大好物で、のちに帰省すると、いつもリクエストしていました。ハレの日には鶏肉入りポテトコロッケや、カレーライス(魚肉ソーセージや油揚げ入り)、手作りコンニャクの煮物を作ってくれました。

2008年に88歳で亡くなったのですが、近所の人たちからも慕われ、頼りにされる気丈な母でした。

 
区議当選直後の頃

(参考)萬立幹夫区議の出身地は、静岡県浜松市北区引佐町。数年前の大河ドラマ「女城主 直虎」の舞台です。

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