2022年4月24日

文京区 ゆかりの女性たち(その4)野中千代子

あかね 2022年4月24日号 第129号 (PDF)

女性初の富士山気象観測者

今回は、気象学者の野中到(いたる)と結婚し、未来の気象学のため、決死の覚悟で富士山頂での越冬にのぞんだ野中千代子。

1871年に福岡市に生まれた千代子は、母方の従兄、到と結婚。2人の住居は小石川原町148(今の白山4-36辺り)だった。到は、高層での気象観測所ができれば、天気予報は必ず当たるようになるという信念を持ち、富士山頂での越冬観測を試みた最初の日本人。妻、千代子も夫を助けるため、明治28年10月12日、周囲の反対を押して富士山に登頂。気象状況は厳しく、小屋の中は冷凍庫と化し、満足な気圧調整施設も防寒具も整っていなかった。新鮮な野菜などの不足から栄養失調になり、ついに到は倒れる。千代子は、到の看病をしながら必死で観測を続けたが、12月12日、志半ばで気象観測を中断、下山した。

大正12年、20年ぶりに富士山頂に観測所が実現しようとしたその日、千代子はインフルエンザで53年の生涯を閉じた。富士山頂に国の気象観測所が開設されたのは、千代子没後9年のちのこと。(参考:「文京ゆかりの婦人展」文京区婦人センター)