2022年1月22日

文京区ゆかりの女性たち(その1)平塚らいてふ

あかね 2022年1月22日号 第126号 (PDF)

元始、女性は太陽であった

「元始、女性は太陽であった」の言葉で知られる平塚らいてうは、8歳の時、生まれた地・東京市麹町(現千代田区麹町)から、本郷駒込曙町13(本駒込2-15)に転居した。

らいてうは、今年、創立60年を迎える新婦人(新日本婦人の会)の創立呼びかけ人の1人。1911(明治44)年9月、25歳のとき、駒込千駄木町9(同町5-3に青鞜社を設立。女性の文芸誌「青鞜」を発刊した。冒頭の言葉は、その創刊の辞。明治の終わり、女性はまだ「家の跡取りを生む機能」とのみ見なされていた時代に、女性も自我を持った一個の独立した〝人間〟であることを主張した先駆的な女性だった。

(参考:「文京ゆかりの婦人展」文京区男女平等センター)

「青鞜社」発祥の地(文京区千駄木5)